サンチャゴ丸の世界へようこそ!
サンチャゴ丸のあゆみ
それはまだバブル時代の残り香も消えぬ1993年春のことでした。
後に「サンチャゴ丸」となる一艘の中古ヨットの買主を探しているとの情報が入ってきました。
場所は、後に情報を聞きつけてきた某クルーの故郷である静岡県清水市(現 静岡市清水区)。
その時点で船歴は約10年、オーナーはすでに三代目となっていましたが、そのオーナーの事情により格安で当該ヨットを手放したいの話でした。
確認したところそのヨットは、ニュージャパンヨット株式会社が扱っている「ソレイユルボン」、サイズは26フィート(約7メートル)で8馬力のディーゼルエンジン(ヤンマー製)を船内に搭載し、寝泊まりできる船室のほか、ギャレー(キッチン)、トイレなども備えた本格的な船だということでした。
さらに調査を進めると、「ソレイユルボン」はいわゆる「流線形のレース艇」ではなく横幅を広くとった居住性と堅牢性に優れたデザインで、同型の船で、海の難所といわれるホーン岬を超えて世界一周の航海を果たしたセーラーもいるという事実も判明しました。
こんな銘艇が破格の条件入手できる機会はめったにない、これを足掛かりに念願の大海原に出しよう!と考えた某クルーは、持ち前の営業力というか強引なリーダーシップを発揮し、最終的には他に4名の共同出資者が集まり、後に「サンチャゴ丸」のクルーとなる5人が誕生しました。
「クルーザー購入計画書」は1993年12月6日、八重洲の「ゴルフ」という飲み屋さんで発表が行われ、クルー一同の賛同を得て即決されました。
なぜ八重洲だったかというと、これは計画が漏れないように会社のあった京橋界隈(当時)は避けてちょっと遠方を選び、赤穂浪士の討ち入りのように秘密裏に集結したと思われます。
そして翌1994年1月29日に進水式を迎えるという、年末年始を挟み2か月もかからない短期間で事がはこばれるとは、いやはや勢いというものは恐ろしいものです。
なぜか順番は逆になりますが、そして急きょ船舶操縦士免許を取り、四半世紀の風雪を経て今日に至っています。
(左の写真は記念すべき1994年1月29日の進水式の様子)
沿革
1993年
後に「サンチャゴ丸」となる中古艇(ニュージャパンヨット「ソレイユルボン」)の出物発見。
5人のメンバー(共同オーナー)が決まる。
12月6日(月)、八重洲の「ゴルフ」という飲み屋さんで、「クルーザー購入計画書」の発表が行われ異議なく即決。
1994年1月29日
寒風をついて、静岡県清水市(現静岡市清水区)の三保マリーナにて記念すべき進水式。
その後で、あわてて当時の「船員免状」(四級小型小型船舶操縦士免許)取得。
そして先達の教えを請いながら手探りで操船に慣れ、翌年には伊豆西海岸の土肥に到達、以後駿河湾を荒らしまわる。
2002年5月
三保マリーナより横浜ベイサイドマリーナに本拠地を移し、東京湾進出。
(5月3日)三保から子浦へ航行し、子浦で船中泊。
(5月4日)子浦から石廊崎を超えて、初めて駿河湾から相模湾に。初島に係留して民宿「力丸」泊。
(5月5日)三浦半島を超えて東京湾に入り、無事横浜ベイサイドマリーナに到着。
三浦半島から房総半島まで、交通量の多い東京湾で時に海上保安庁の巡視船に怒られながらのアーバンヨットライフを満喫。
2006年3月
やはり都会の水は合わないことに気づき、駿河湾に戻ることを決意。
(3月18日)横浜ベイサイドマリーナから相模湾に入り伊東に航行、伊東で船中泊。
(3月19日)相模湾を南下して下田へ。ビジネスホテル「URAGA」泊。
(3月20日)石廊崎沖でかつてない強風と大波を乗り切り、息もたえだえに折戸マリーナ(現・富士山羽衣マリーナ)に到着。
再び駿河湾に戻り、富士の絶景を愛でつつのどかなセーリングを楽しむ日々に。
2011年9月6日
諸般の事情により、折戸マリーナから再び三保マーナに戻り、約10年ぶりの帰港。
現在に至る。